Jag tänkte medan jag badade

Jag ska gå i alla fall.
Vem vet? Kanske situationen förändras medan jag går.
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# by okawghumpe | 2010-04-05 02:38 | Svenska

風呂の中で考える

とりあえず、歩こう。
歩いている内に、周りも変わるかもしれないし。
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# by okawghumpe | 2010-04-05 02:31 | 書評以外の日本語

le pemci fi la suzuki.iukikos.

ni'o
.i ti pemci fi la suzuki.iukikos. .i ri ciska ti la ri blog. de'i li ci pi'e ci pi'e renopano to http://www.bugycraxone.com/diary/suzuki/ toi .i mi fanva
ni'o
.i ko klama vi lenu do djica lenu klama
.u lenu do se na viska
.a lenu do se na zgana
.i ro ko klama vi lenu do djica lenu klama

.i se cumki lenu do mipri klama
.a lenu do cisma klama
.a lenu ci se snidu lenu do klama
.a lenu mo'i lo fange gugde do klama

.i lu .ui tu pu xajmi li'u se cusku mi
.e mi cpare fe ckama
.i ti xamgu mi

.i ro ko klama vi lenu do djica klama
.i ko klama vi lenu do djica klama

ni'o mi tikygau ciska de'i li renopano pi'e pano pi'e remu to ei pu se cmene lu lo pemci be fi la .suzukis.iukikos. li'u toi da'e lu

ko klama lo djica selklama be do
.iju do na se viska
.ija do na se zgana
.i ro ko klama lo djica selklama be do

.i se cumki lenu do mipri klama
.a lenu do cisma klama
.a lenu ci se snidu lenu do klama
.a lenu fa'a lo fange gugde do klama

.i lu .ui pu xajmi li'u se cusku mi
.ije mi cpare fa'a ne'i lo ckagai
.i ra xamgu mi

.i ro ko klama lo djica selklama be do
.i ko klama lo djica selklama be do

li'u
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# by okawghumpe | 2010-04-05 02:29 | lojban

ルポ労働と戦争 島本慈子/著 岩波書店

どうしたらいいんでしょうね

かみしめるように読みました。

(池田市立図書館書評)
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# by okawghumpe | 2010-03-30 00:32 | 図書館書評

Poemo de Suzuki Yukiko

ブージー・クラクションの鈴木さんの詩(三月三日付け)。エスペラント版。(許可済み。)
Jen estas poemo de Suzuki Yukiko kiun ŝi skribis en sia blogo je la 3a de mars. Mi tradukis. http://www.bugycraxone.com/diary/suzuki/

#1

Iru tien kien vi volas
eĉ sen iu ajn publiko,
eĉ sen iu ajn kiu rimarkas vin.
Ĉiuj iru tien kien vi volas.

Eble sekrete
aŭ ridetante
aŭ 3 sekundojn
aŭ fremdan landon...

"Ho, gajege!" diri poste kaj
rampi en la liton,
tion mi ŝatas.

Ĉiuj iru tien kien vi volas.
Iru tien kien vi volas.
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# by okawghumpe | 2010-03-23 22:35 | Esperanto

En dikt av Suzuki Yukiko

ブージー・クラクションの鈴木さんの詩(ブログ三月三日付け)。スウェーデン語版。(許可済み。)
Här är en dikt av Suzuki Yukiko som hon skriver i sin blogg den 3:de mars. Översatt av mig.
http://www.bugycraxone.com/diary/suzuki/

#1

Ta er dit ni vill
även utan någon publik,
även utan någon som lägger märke till er.
Ta er dit ni vill alihop.

Kaske i smyg
eller skrockande
eller i 3 sekunder
eller utomlands...

"O, det var roligt" säger man sedan och
kryper till sängs.
Det tycker jag om.

Ta er dit ni vill alihop.
Ta er dit ni vill.
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# by okawghumpe | 2010-03-23 22:28 | Svenska

仕事

私は本業は画家なのですが、いよいよ家賃が払えなくなったので、パートをします。

今の世の中、ホームレスになっても働かなければならないのなら、住居を持っているうちに働いた方がいいんじゃないかな、と思いました。

ハローワークで登録して、ある法人からいきなり「今日面接に」と言われて、履歴書を買って、証明写真を撮って、面接に行って、たぶん採用してくれそうです。素早い展開でした。パートだからかな。

前の前の仕事と同じく、認知症の人のグループホームだけど、株式会社ではなくて非営利団体で、本当に普通の日本家屋で、雰囲気が非常に良かった。面接の職員もいい人そうだった。

私は学歴社会に反対の立場なので、履歴書の最終学歴には保育園卒と書きます。

その職員の方は、「保育の学校を出たの?」と誤解しました。「いや、保育園卒ということです」と言ったのですけれど、分かってもらえたかどうか。「違います」と言ったのに対して「残念ね」とは言われましたが、突っ込まれなかったので、学歴は話題になりませんでした。

そういえば、前の仕事を辞めた理由も尋ねられなかったし。

こういう所でなら頑張りたい、と思える所だった。
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# by okawghumpe | 2010-03-23 20:43 | 書評以外の日本語

Kion mi povas fari?

Diogeno, senhejma filozofo en Grekio, loĝis en barelo.
Kiam Korinto, greka urbo, minaciĝis kun sieĝo de Filipo, reĝo de Mekedonio, kaj ĉiuj loĝantoj okupate faris agadojn, unu ŝlifis siajn armilojn, kaj unu portis kaj kolektis ŝtonojn, kaj unu pretigas la muron, kaj Diogeno vidis tion, do li rapide kolektis sian mantelojn kaj avidege rulis sian barelon tien kaj reen sur la stratoj. Kiam oni demandis lin kial li faris tion, li respondis: ankaŭ mi okupiĝas kaj rulas mian barelon. Mi devas ne esti sola libera marŝanto inter tiel multaj laboremaj homoj.

Johannes Climacus aŭ Søren Kierkegaard pluigis:
Tia konduto almenaŭ ne estas sofista, se Aristoteles ĵuste klarigas ke la sofista maniero estas tio, kun kiu oni lukras monon. Tia konduto almenaŭ ne povas miskomprenigi iun, ĉar estas nepenseble, ke iu rigardos Diogenon kiel la urban savanton kaj bonfaranton.
(El Filozoferoj de Johannes Climacus / Søren Kierkegaard)

Diogeno devegis ruli sian barelon.
Mi volus ruli barelon kune.

Itimura Misako ekkuŝis kaj elmontris kometojn, kiel Diogeno rulas la barelon.

Oni antaŭenpuŝas planlingvojn kaj partoprenas en civilaj movadoj, kvazaŭ kiel Diogeno rulas la barelon.

Mi volas ĉe la sama flanko kiel Diogeno.

Lastjare 1050 afganaj infanoj estis murditaj ĉefe de la usona armeo.
La nombro estas sensignifa kiam temas pri unuopaj vivoj, sed ĝi verŝajne signifas ke estas sufiĉe generale murdiĝi.
Kial ili estas mortintaj kaj mi vivas, tion mi ne komprenas.

Mi volas esti ĉe la sama flanko kiel la murdiĝitaj infanoj.
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# by okawghumpe | 2010-03-22 09:42 | Esperanto

日展

はじめに。結果的に長文です。

日展に行ってまいりました。
日本画のすごさに圧倒されました。
勉強になったというよりは、ぶん殴られた思いでした。
洋画の部門とは天と地ほども違います。全体的に素晴らしい。
その大きな絵が絵としての面白さを保ち、絵肌も目に心地良い。
遠くで見ても、近くで見ても、いい絵というのが理想だ、と常々私は思っているのですが、その理想にぴったり合っているのです。
新しい表現があって、いきいきとしている。
最先端を行く人は日本画に来ているのではないか、と思う。私が今まで日本画に馴染みがなかったせいでしょうか。

先に言ったように、日本画部門は全体的に素晴らしいのですが、中でも特に印象に残った画家名を挙げます。

五十嵐佳容さん。「大阪の虎 天王寺の豹 神戸の獅子」。
これには、ぶん殴られたというより、頭が粉々に砕け散ったように思いました。すごい。

吉村年代さん。「乳を吸う」大きくて良い絵です。
長谷部日出男さん。「道」。この大きさでなければならないと感じさせる大きい絵。日本画部門は全体的にそうなのですが、特にこの絵にはそう感じます。
中村徹さん。「カウンターのふたり」。異様です。
山下保子さん。「丘の上の家」。白が素晴らしい。
袴田規知代さん。「夏の昼下り」。見事さに涙が出ました。
田島奈須美さん。「猫、磊悟隴の夢」。素晴らしい。
手塚恒治さん。「旅立つ朝」。新しい表現を感じます。
津田直樹さん。「壁」。素晴らしい絵肌。
長谷川喜久さん。「韻」。緑の色の素晴らしさ。
野田夕希さん。「待ちあわせ」。涙を搾り出したくなるくらい素晴らしい。
米田実さん。「猩々」。すごい。涙が出ました。
諸星美喜さん。「ゆらり」。いい絵です。
石崎誠和さん。「服を脱ぐ」。なんと圧倒させる絵か。
佐藤秋子さん。「夏日」。涙が出ました。
能島浜江さん。「四又の百合」。さすがです。初対面だけど、さすが、と思ってしまう。
片山侑胤さん。「翠」(みどり)。すごくいい絵です。
鍵谷節子さん。「赫い葩」(あかいはな)。きれいです。
伊東正次さん。「洞杉図」すごい。わが師の石井先生に見せたい。
井口由紀子さん。「迷走」。いい絵です。
小熊香奈子さん。「あなたへの手紙」。面白い。
熱田守さん。「穏」。どっしり感が良い。
山田まほさん。「牡丹玄想」。すごい良い絵です。
佐藤陽子さん。「水に眠る」。色付けていくやり方の素晴らしさ。
細見香都子さん。「風薫る」。調和が取れている。
中園ゆう子さん。「時の雫」。時計のような小細工を使うと、得てして陳腐になりがちですが、そうならないのは、色が良いせいでしょう。
廣岡通正さん。「納西の人」。ただ見とれました。

工芸美術部門も良かった。
漆の美しさに涙が出ました。後藤健吉さんの「心象風景III」は漆の美しさをうまく出していると思う。
山本唯与志さんの染め物「染額『樹曼荼羅』09」も素晴らしいと言うしかない。

展示の仕方に一言。日本画は一階でして欲しい。二階でやっていることを知らないで、私は危うく帰るところでした。

最後に。美術館などめったに行かない私が行けたのは、ある方のご好意によるものでした。美術館がこんなにすごい所だとは思っていませんでした。言葉に尽くせないほどに感謝。
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# by okawghumpe | 2010-03-22 00:03 | 書評以外の日本語

Vad kan jag göra?

Diogenes, hemlös filosof i Grekland, bodde i en tunna.
Da Corinth blev truet med en Beleiring af Philip, og alle Indvaanere vare i travl Virksomhed, idet den ene pudsede sine Vaaben, den anden bar Steen sammen, en tredie udbedrede paa Muren; og Diogenes saae det, da samlede han i en Skynding sin Kappe sammen, og trillede sin Tønde med stor Iver frem og tilbage igjennem Gaderne. Da man spurgte ham, hvorfor han gjorde det, svarede han: ogsaa jeg er beskæftiget og ruller min Tønde, at jeg ikke skal være den eneste Lediggænger mellem saa mange flittige Mennesker.

Johannes Climacus eller Søren Kierkegaard fortsrätter:
En saadan Adfærd er idetmindste ikke sophistisk, dersom ellers Aristoteles forklarer rigtigt, at den sophistiske Kunst er den, ved hvilken man tjener Penge. En saadan Adfærd kan idetmindste ikke forskylde nogen Misforstaaelse; thi det var da vel utænkeligt, at Nogen kunde falde paa at ansee Diogenes for Stadens Frelser og Velgjører (...).
(Ur Philosophiske Smuler av Johannes Climacus / Søren Kierkegaard http://www.bjornetjenesten.dk/teksterdk/phil-smuler.htm)

Ja, Diogenes måste rulla sin tunna.
Jag skulle vilja rulla en tunna med.

Itimura Misako lade sig och föreställde kometer, såsom Diogenes rullar tunnan.

Man främjer konstgjorda språk och deltar i medborgarrörelse, på sätt och vis såsom Diogenes rullar tunnan.

Jag vill vara på samma sida som Diogenes.

I fjol mördades 1050 afghaniska barn av huvudsakligen USAs armé.
(http://www.migrationsverket.se/include/lifos/dokument/www/10012902.pdf)
Siffran är betydelselös när det gäller de enskilda barnens liv, men man kan nog säga att den visar att det är ganska vanligt att bli mördad.
Varför är de döda och jag lever, det är det som jag inte kan förstå.

Jag vill vara på de mördade barnens sida.
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# by okawghumpe | 2010-03-21 02:13 | Svenska

私に何ができるか

古代ギリシャのホームレスの哲学者ディオゲネスは樽の中に住んでいた。
コリントの町がマケドニア王ピりッポスによって攻囲されようとしたとき、住民は一人残らずせわしく立ち働いていた。ある者は武器を手入れし、ある者は石を運び、ある者は城壁を補強するといった具合に。このさまを見たディオゲネスは、敷いていたマントを大急ぎでたたむと、例の愛用の樽(たる)を夢中でころがして、街(まち)を行ったりきたりしはじめたのだ。なぜそんなことをしているのかと人が尋ねると、ディオゲネス先生答えていわく、働き者ばかりこんなに大勢そろっているなかに、このわし一人だけのらくらしていては相すまぬから、わしも働いてこの樽をころがしとるのじゃ。(原文注。ルキアノス『歴史はいかに記さるべきか』第四章。)

ヨハンネス・クリマクスことセーレン・キルケゴールは続けてこう言う。
こうした振舞いは、少なくともソフィスト(詭弁家)のそれではない、もしアリストテレスが、ソフィストの術とは金もうけの術であると説明してくれているのが正しいとすれば。しかり、こうした振舞いは、少なくともいかなる誤解をもひき起こす余地のないものである。だれにしたって、このディオゲネスを町の救い主もしくは恩人であるなどと考えることはおよそありえないだろう。
(ヨハンネス・クリマクス「哲学的断片 または断片の哲学」杉山好訳『世界の名著51 キルケゴール』責任編集桝田啓三郎 52-53頁)

転がさざるを得ないから転がすんだ。

ディオゲネス先生と一緒に転がしていきたい。

いちむらみさこさんが彗星を表現するのは、ディオゲネスが樽を転がすようなものだ。

人工言語を推し進めたり、市民運動をすることだって、ディオゲネスが樽を転がすような、そういう面はある。

ディオゲネス先生と同じ側に立ちたい。

去年アフガニスタンで主にアメリカ軍に殺された子供の数は1050人。
数字には意味はない。一人ひとりの命は量では測れない。しかしこの数字は、子供が殺されることが当たり前だという状況を表していないだろうか。
なぜ彼らは死んだのに私は生きているのか。
不思議でならないのです。

殺された子供の側に立ちたい。

ヨハンネス・クリマクスことセーレン・キルケゴールのディオゲネスの描写は気に入っているので、これから各言語でその記事を載せます。
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# by okawghumpe | 2010-03-21 01:55 | 書評以外の日本語

重力と恩寵 シモーヌ・ヴェーユ/著 春秋社

言葉の効果

「人間は、行動とその結果のあいだに、努力と作品のあいだに、外部の意志が介在するかぎり、奴隷である。」(264頁)こういうはっきりした言葉が必要なのだ。言葉は何の役に立つか。本を読むだけでは何も変わらないけれど、人を動かす力を持っているのも言葉だ。人を動かすには、単純なことを単純に表すあざやかさが必要だ。単純なことが見えなくなっている人にそれを分からせるだけの素朴さが必要だ。これを読んだ人は、これを読んだ私は、この状況に対して何をするか。著者とは部分的に共感する。なぜ部分的かと言うと、分かりづらい文章が多いからだ。翻訳の問題と片付けていいのか、原文の文章自体がこうなのか、一読して意味のつかめない語句の組み合わせがある。広く一般に向けられていないと思うが、元々は出版目的に書かれたものではないようだから、これはこれでいいのかもしれない。

(池田市立図書館書評)


本書からの引用(二重引用を含む)。
『カラマーゾフの兄弟』のなかのイワンのせりふ。「この巨大な塔の構築がどれほどすばらしい結果をもたらすとしても、それが一人の子供の一滴の泪にも値しないとしたら、そんな塔を築くのはおことわりだ。」
私はこの考えかたに全面的に同意する。一人の子供の泪をつぐなうものとしてどんな理由が設けられるとしても、私はこの泪を容認できない。人間の知恵で思い浮かべられるような理由であれば、どんな理由にせよ絶対に否である。ただ一つ例外がある。ただしそれは超本性的な愛によってのみ理解しうるものであるが、それは「神の御旨だから」という理由である。そしてこの理由のためだったら、私は子供の泪ばかりか、悪にすぎないような世界さえも容認するであろう。(133頁)

「私は裸だったときにあなたたちが服をくれた」

「私が飢えていたとき、あなたは食べさせてくれた」

(それぞれ「[マタイ福音書二五・三六‐九]」からの引用とある。84頁)
 

(マタイの引用の上の文は「は」と「が」が逆だろう。)
聖書の言葉はこんなにあざやかだったろうか。
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# by okawghumpe | 2010-03-17 10:26 | 図書館書評

ロジバンで、おおかわじゅんぺい

自分の名前を外国語でどう言うか、そして綴るか、というのは、特に人工言語をやっている人などとは議論が泥沼になる問題で、十人十色の考え方がありますけど、ロジバンでは私はジュンペンという名前にしました。苗字と合わせるとオーカウジュンペン .okau.junpen.

とりあえず、母音で終わってはならないので、sを付けるのが普通みたいだけど、私はnにします。
しかし、自分の名前だからこんなに悩むのであって、おおかわじゅんぺいが他人だったら、.okaua.junpeis.とでもしたかもしれない…。

エスペラントやスウェーデン語でも私は自分の名前は変な風に綴っていますけど、他人の日本人の名前は訓令式で綴るのが無難だと思う。

でも自分の名前をZyunpeiとは絶対に綴りたくないので、矛盾してますね…。


とりあえず、今や標準となっているらしいヘボン式(イギリス語式。Jumpeiと綴る)には私は反対の立場なので、その上で、ヘップバーンをヘボンと表記するような音重視のやり方が望ましいと考えますけど、音の聞こえ方というのは人によって違う可能性があり、当人が、どう綴るかを各言語ごとに決めていく、という一見笑い事のようなことをする必要がある、とまじめに考えています。そして分からない場合は訓令式でいく。(しかし、もしロジバンやエスペラントと対応するヘボン式のような表があったら、それに従うに越したことはない。)(しかしヘボン式のような表が各言語ごとにあったら、尚良い。)
というか、音重視と言いながら、私は自分の名前も .jumpen. じゃなくて .junpen. としているし、矛盾しまくりですけれど、要するに、当人が決めればいいのです。


例えば、イギリス語は私は使わないので、イギリス語の中ではどう綴られていようが私は気にしない、ということでもあります。


(なぜ.junpen.にmではなくnを使ったかというと、漢字を考えたからです。中国語でも朝鮮語でも純はnで表記される。もし三平という名前だったら、.sampen.とmを使ったかもしれない。三位一体sam.mi.it.taiという言葉もありますし。)


整理をすると、まず名前は当人が好きに決めることだ。
しかし当人がその言語でどう綴っているかが分からない場合は、その言語に対応する日本語の音素の一覧表に従うのが望ましい。
あるいはロジバンやエスペラントに対応する五十音の表が望まれる、ということですが、その表を誰が決めるのでしょう?

名前を考えるだけでえらい苦労をしましたけれど、新しい言語を学ぶ時のこれが第一歩です。


*2011年5月26日付けで付け加えますと、 .okau.junpen. にすると言っていますが、苗字と名前をこのように間を空けて分けるなら、苗字の部分も子音で終えるべきです。よって .okaun.junpen. になります。
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# by okawghumpe | 2010-03-14 03:45 | 書評以外の日本語

ショイ ドーフー

coi do'u mi'e .junpen.

.i mi la lojban cilre .i mi ba ciska lo gadri fe la lojban.
co'omi'e .junpen.

こんにちわ。 ショイ ドーフー
純平です。  ミーへ ジュンペン
ロジバンを学んでいます。    イ ミー ラロジバン シルレ
これからロジバンで記事を書きます。  イ ミー バ シスカ ロガドリ フェ ラロジバン 
ではさようなら。純平   ショーホ ミーへ ジュンペン


初心を忘れたから、グループホームを辞めた。
利用者の立場に立てなくなっていた。
次の病院には何も期待していなかったが、仕事として割り切ることが出来ずに辞めた。


もっと尖っていこう。
全力で行きまっせ。

ni'o mi jmina ciska de'i li renopano pi'e pano pi'e remu .i vi srera lo nu pilno lo valsi po'u lu lo gadri li'u noi se smuni lo purci be lo sumti .i ei mi pu ciska lu mi ba ciska lo selkarni fe la lojban. li'u

ni'o mi za'u re'u jmima ciska de'i li renopapa pi'e mu pi'e rexa .i lu lo gadri li'u se smuni lo lidne be lo sumti be'o je nai la'e lu lo purci be lo sumti li'u .i je .ei mi pu ciska lu ba ciska lo selkarni bau la lojban li'u

十月二十五日付けで付け加えると、「ロガドリ」は誤りです。消した方が良い。

二〇一一年五月二十六日付けでさらに付け加えると、「ロガドリ」だけでなく、後の「フェ」も消して「バウ」を入れるべきです。
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# by okawghumpe | 2010-03-14 03:33 | 書評以外の日本語

ブージー・クラクションの鈴木さん

社会は変えられるし、変えられない。

現状に満足してはいけないし、満足するべきなんだ。

私の頭は壊れていますが、鈴木由紀子さんの日誌三月三日付けに記載の詞を見て、そう思いました。
http://www.bugycraxone.com/diary/suzuki/


鈴木さんが「みんな」と言っても、社会という枠組みで見ているわけではないだろう。
個人の集まりに呼びかけているだけだ。

社会運動と芸術は相容れない。
だからこそ芸術は必要なんだ。


いちむらみさこさんの彗星は芸術だと思う。だって、面白いから。
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# by okawghumpe | 2010-03-04 22:53 | 書評以外の日本語

Om en hemlös konstnär

Itimura Misako är en konstnär som bor i ett tält i en park i Tokjo.
Hon har blivit bostadslös för att hon inte ville arbeta.

När hon var doktorand i konst, luffade hon omkring och hon sov utomhus på nätterna.
Efter skolan började hon arbeta som lärare i bild och som vårdare, men hon blev trött på att arbeta, och hon blev sjuk.

När hon mötte hemlösa människor i en park, upptäckte hon att där kunde man leva även om man inte hade pengar.
Där fanns gemenskap bland de hemlösa, och de hade tillgång till mat tack vare att närbutiker kastade bort överbliven mat.

2003 började staden göra en väggmålning på muren under en järnvägsbro och vräkte därmed de hemlösa därifrån.
Hon såg att konsten används för att utesluta människor, och hon deltog i protester.
Ett hus av kartong som tillhörde en av de hemlösa brann då upp, och branden var troligen anlagd.
I protest lade hon sig på brandplatsen och föreställde en komet.

Hon startade ett kafé, "Enoir-kafé" (det låter som franska, men det kommer från en fras på japanska, "kafé med målningar") där man inte använder pengar, utan man gör byteshandel, och där man samlas och målar varje tisdag.

Jag deltog i målningsgruppen i tisdags. Vad jag blev glad att se henne.
Jag kunde se hur hon målade och hon satt modell för mig!

Konsten får inte vara endast för de rika, det har jag länge varit övertygad om.
Itimura Misako är en riktig konstnär. Hon visar sina konstverk utan krus. De som är med i klubben är lyckliga tycker jag, för hon visar sina målningar bara där nu.

Jag hade läst i en artikel i en tidning att hon grävde "gravar" i parken för de som begått självmord i Japan (mer än 30000 människor varje år). Jag glömde att fråga henne var man kunde hitta verket, jag ville så gärna se det.

Angående livet som hemlös, tycker jag att nätverk av de hemlösa är viktiga. Att de har tillgång till mat och kläder möjliggörs av deras nätverk.
Man behöver ju ett ställe där man kan leva även utan bostad.
Många människor sliter och arbetar i rädsla att vara hemlös (det gjorde jag när jag arbetade). Men om man vet att man kan skaffa sig förnödenheter även som hemlös, då kan man känna sig tryggare.

(Texten är delvis ändrad och rättad den 20 augusti 2010.)
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# by OkawGhumpe | 2010-02-26 22:16 | Svenska

ブルーテント村

いちむらみさこさんに会いました。感激でした。いちむらさんが絵を描くのを生で見れて(!)、さらに、そのいちむらさんをモデルに絵が描けて、二重に三重に感激でした。

帰省からの道すがら、東京のエノアール・カフェに立ち寄ったのです。

実際に会えて本当に良かった。元気をもらいました。

会に参加した皆さんにはお世話になりました。

テント村について、家賃が払えなくてもここでなら生きていける、という場は絶対に必要で、その人のつながりが、あっちこっちにあったらいいのに、と思いました。

豊かさという言葉を軸にしてこれから考えていきたい、とも帰りの電車の中で思いました。
寒さと飢えで苦しむ孤独なホームレスには誰もなりたくないだろうし、私もなりたくない。
何が豊かで何が貧困なのか、もっと言葉にしていけば、世の中への訴えは効果的になるのではないか。

そういえば、『朝日新聞』2月15日付け「ひと」欄で紹介されていた、三万二千人の自殺者の「墓穴」ってどこにあるのか、いちむらさんに聞くのを忘れた…。
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# by OkawGhumpe | 2010-02-25 19:59 | 書評以外の日本語

タマラ・ド・レンピッカ タマラ・ド・レンピッカ/[画] 岩波書店

この人の絵は初めて見ました

面白くて、それでいて素晴らしい。想像できなかったような絵です。長生きすると、色々な絵に出会えるものだ、と思う。
(池田市立図書館書評)
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# by OkawGhumpe | 2010-02-18 03:14 | 図書館書評

江戸絵画万華鏡 榊原悟/著 青幻舎

すごい!

圧巻は「アニメーション」です。これには開いた口がふさがらない。過激でおどけた「をこ絵」はなんという過激さか。江戸時代って本当にすごい時代だったのですね。曽我蕭白、歌川国芳、河鍋暁斉など好きな画家を沢山見つけた。

(池田市立図書館書評)
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# by OkawGhumpe | 2010-02-16 02:24 | 図書館書評

図説忍者と忍術 学研

すごい

これはすごい。写真が豊富で説得力がある。三十粒で一日の体力が回復されるという忍者食に興味がいく。

(池田市立図書館書評)
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# by OkawGhumpe | 2010-02-16 02:21 | 図書館書評

絵本

図書館の隣の歴史民族博物館で昔の絵本を「個人研究」してきました。計63冊。

昭和17年とかの絵本が軍国主義で彩られていたのに対し、昭和21年頃の絵本が一気にイギリス語礼賛主義になるその変わり身の早さが面白い。

しかし素晴らしいのは江戸時代の絵本です。

1800年代の和紙に書かれた絵のその線の細さ。人の表情の豊かさ。その説明的な描写の仕方。これこそ芸術だ、と震えました。

一人の作者ではない、この時代の絵本は全体的に素晴らしい。これはどういうことなのか、と問わずにはいられない。

昭和初期の色彩豊かな絵本は、これらの本と比べるとまるで色あせて見える。人の表情がのっぺらぼうで、動きがない。話の内容とは関係なく、はっきり言って、つまらないのだ。(例外はあります。)

江戸時代の本は、薄い和紙で製本され(裏が透けて見える)、虫食いでぼろぼろになりながらも、なんと輝いていることか。

実際に手に取って、めくるから、素晴らしさが分かるのだと思う。展示されているのを見ただけでは、本としての素晴らしさは分からない。このような素晴らしい作品が身近に、手の内にあるということが感動させるのだ。

その小さい画面に細かく書かれた空間の大きさ。思うに、これこそ本の醍醐味ではないだろうか。本を超えて、大きい空間を感じさせるのです。

遠近法を無視した書き方にも触れておきたい。平行なものを平行に書くのは、説明的であるという点で、非常に優れている。

そして、線で描写するという驚異の技。濃淡を使わず、線だけで書かれた『絵本曽我物語』の絵は私の一番のお気に入りで、線だけでここまで表現できるのか、と感嘆する。

地の文章も、流れるように書かれた文字で、美しいと思う。(読めないけど。)日本語の書き方についても考えさせられる。

こういう素晴らしいものを書庫に眠らせておくのはもったいない、と思うのです。
これを閲覧するのに申請してから何日もかかりました。何でもまずは手続きが要るとのことで、例えば、これらの画像を公表する(誰かに見せる)のにもまた改めて教育委員会に承認を得る必要がある、とのこと。私は画像など撮っていませんが、手続きの簡略化はして欲しい。

昔の人の宝のような遺産に市民が簡単に接することができてこそ、その作品は役に立つと思うし、現代の人の心で受け継いでいかれる、と思う。

歴史民族資料館の担当の方にはお世話になりました。長時間かかってしまって、申し訳なかった。
以下に、閲覧した資料名を挙げます。

続き
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# by OkawGhumpe | 2010-02-13 02:07 | 書評以外の日本語

中村安希さんのブログ

資本主義経済を疑う観点について


前回コメントを残した者です。
中村さんの過去の報告(アーカイブ)を読ませてもらいました。確かに私は誤解していたようです。

なぜ誤解(誤読)をしたのかを考えてみると、「アフリカ人というだけで、安易にあなた自身のことを貧しい人だと言ってはいけない」(190頁)、国際協力の予算増加は「やってはいけない」(245頁)という言い方が、まるで、過去を不問にした、自己責任を押し付けるような言い方のように感じられてしまったのだと思います。
確かに、先進国の支援のあり方については本の中でも批判されていますが、それでも、支援は要らない、と言われると、まるで弱者を切り捨てる資本主義の言い分のように受け取ってしまったのです。

それは、例えば日本のホームレスについて、今の社会を批判する立場から、「労働をしない、土地所有をしない生き方だ」と主張すると、「ホームレスになったのは自己責任だ」という弱肉強食の主張と誤解されやすい、のと似ている気がします。
ホームレスの生活をあえて選ぶ人はいるけど、大多数は望んでなったわけではない、というのが現状でしょう。

言葉というのはどのようにでも解釈されうる、と思います。国際支援の現状の認識と、ではどうしたらいいのか、という考えが私には足りなかった、とも思います。すみませんでした。ご回答して頂いて、ありがとうございます。

過去の報告については、その一つ一つが貴重な報告で、本(『インパラの朝』)よりも面白い、と思いました。

ご自身の言葉での報告をまた読ませて下さい。まずはお礼まで。

(中村安希さんのブログへのコメント)

ブログは本と違ってまとめられていない分、長いのですが、素晴らしい内容です。
ことにザンビアの報告が面白かった。
http://asiapacific.blog79.fc2.com/blog-entry-91.html


アフリカでは、貸し借りの清算は歓迎されない。なぜなら、清算をして帳消しにすることは、その人とはもう関わらなくていい、ということだから。と聞いたことがあります。
金銭とは離れて、例えば恩義などについて考えると、分かりやすいのではないでしょうか。忘恩の極みの私など、清算しようと思ったら、えらいことです。
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# by OkawGhumpe | 2010-02-11 11:56 | 書評以外の日本語

読み解き「般若心経」 伊藤比呂美/著 朝日新聞出版

詩人としての著者

「『ある』と思っているものはじつは『ない』」と翻訳した著者のあざやかさはパルメニデスの詩のようで(この哲学者は「あるはある、ないはない」と反対のことを言っていますが。)感銘を受けます。自分の言葉で語る大切さを思い知らされます。仏教関係に私は関心は持ちながらも、専門書は読みづらくて読めていませんでした。しかし本書は違います。(ていうか、専門書でもないですし。)まさに詩人の凄さ(北原みのりさん曰く)を感じます。

(池田市立図書館書評)
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# by OkawGhumpe | 2010-02-09 16:56 | 図書館書評

最近思うこと

思うに、暖房がなくて、栄養がなければ、人は生きていけないし、私も冬を越せない。
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# by OkawGhumpe | 2010-02-08 01:14 | 書評以外の日本語

栃木のおもしろ方言 森下喜一/編著 栃の葉書房

興味深い


二十年前の本ですが、こういう記録は貴重でしょう。松ぼっくりの由来は知らなかった。105-6頁で、明治の人が東京方言を共通語に推し進めたことと、ザメンホフがエスペラントを作ったことが同列に並べられていますが、これは誤解でしょう。エスペラントは地域の言葉を無くす為ではなくて、それらを守る為に作られたはずです。一つの方言が「共通語」とされる限り、他の方言とは対等ではなくなる以上、他の方言は衰退していきます。それを防ぐ為に、特定のどの集団にも属さない人工言語を第二言語の共通語に、というのであって、母国語を無くそうというものではありません。

(池田市立図書館書評)
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# by OkawGhumpe | 2010-02-08 01:09 | 図書館書評

Nun

Estas malvarme.

Kaj mi estas malriĉa.
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# by OkawGhumpe | 2010-02-06 23:01 | Esperanto

最近の絵

これはピッピらしき者が入っているから、タグボートでは売りません。
a0158775_22493466.jpg
 
タグボートサイト Mina verk  Jen miaj verkoj
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# by OkawGhumpe | 2010-02-06 22:52 | 書評以外の日本語

Fattig som jag är

Jag är fattig, men jag är lycklig.
Det är kallt, men mitt hjärta är varmt.

Jag får veta hur det är att vara fattig i den här världen.
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# by OkawGhumpe | 2010-02-06 07:32 | Svenska

まずはこれだけエスペラント語 渡辺克義/著 国際語学社

面白いです(笑)

ホテルの部屋決めをエスペラントでこう言う、と言われても…使えないでしょう。(笑)「まずはこれだけ」、と、「虫垂炎」とか「助産婦」とかの訳語が載っていますが…必要な人はいるでしょうけど、少数なのでは?(笑)この本を読んでエスペラントが分かった、という人はいないでしょうし、初めて学ぼうという人には勧めませんが、語彙を増やしたいという人にはいいかもしれません。55頁の詩は誤植で"ne"が抜けているために、意味が通らなくなっています。("Ho, mia kor'"という有名な詩。)

書き直しました。

面白い

ホテルの部屋を決めるときのエスペラントでのやりとりや、「助産婦」などの語彙が載っています。身近な語彙を増やせます。しかしこれからエスペラントを学ぼう、という人向けの本ではないように思います。。。55頁の詩はたぶん誤植で"ne"が抜けています。("Ho, mia kor'"という有名な詩。)

そして付け足しました。
2010年4月7日に著者に確認したところ、55頁の "Jam teni min povas mi facile" は ne が抜けていて、正しくは "Jam teni min ne povas mi facile" であり、他に、 "En mia brusto nun ne saltu for!" の En は正しくは El である、という回答を得ました。2刷では訂正してくれるそうです。

(池田市立図書館書評)
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# by OkawGhumpe | 2010-02-06 06:52 | 図書館書評

新・貧困なる精神 本多勝一/著 講談社

良かった

ディズニーランドと本多さんはあまりにも合わないだろうに、企画に無理があるのでは、と思いましたが、読んでみると、本多さんはやはり大切なことを言ってくれています。面白かったです。ディズニーは私も昔好きでした。

(池田市立図書館書評)
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# by OkawGhumpe | 2010-02-06 06:48 | 図書館書評