カテゴリ:書評以外の日本語( 50 )

仕事

私は本業は画家なのですが、いよいよ家賃が払えなくなったので、パートをします。

今の世の中、ホームレスになっても働かなければならないのなら、住居を持っているうちに働いた方がいいんじゃないかな、と思いました。

ハローワークで登録して、ある法人からいきなり「今日面接に」と言われて、履歴書を買って、証明写真を撮って、面接に行って、たぶん採用してくれそうです。素早い展開でした。パートだからかな。

前の前の仕事と同じく、認知症の人のグループホームだけど、株式会社ではなくて非営利団体で、本当に普通の日本家屋で、雰囲気が非常に良かった。面接の職員もいい人そうだった。

私は学歴社会に反対の立場なので、履歴書の最終学歴には保育園卒と書きます。

その職員の方は、「保育の学校を出たの?」と誤解しました。「いや、保育園卒ということです」と言ったのですけれど、分かってもらえたかどうか。「違います」と言ったのに対して「残念ね」とは言われましたが、突っ込まれなかったので、学歴は話題になりませんでした。

そういえば、前の仕事を辞めた理由も尋ねられなかったし。

こういう所でなら頑張りたい、と思える所だった。
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by okawghumpe | 2010-03-23 20:43 | 書評以外の日本語

日展

はじめに。結果的に長文です。

日展に行ってまいりました。
日本画のすごさに圧倒されました。
勉強になったというよりは、ぶん殴られた思いでした。
洋画の部門とは天と地ほども違います。全体的に素晴らしい。
その大きな絵が絵としての面白さを保ち、絵肌も目に心地良い。
遠くで見ても、近くで見ても、いい絵というのが理想だ、と常々私は思っているのですが、その理想にぴったり合っているのです。
新しい表現があって、いきいきとしている。
最先端を行く人は日本画に来ているのではないか、と思う。私が今まで日本画に馴染みがなかったせいでしょうか。

先に言ったように、日本画部門は全体的に素晴らしいのですが、中でも特に印象に残った画家名を挙げます。

五十嵐佳容さん。「大阪の虎 天王寺の豹 神戸の獅子」。
これには、ぶん殴られたというより、頭が粉々に砕け散ったように思いました。すごい。

吉村年代さん。「乳を吸う」大きくて良い絵です。
長谷部日出男さん。「道」。この大きさでなければならないと感じさせる大きい絵。日本画部門は全体的にそうなのですが、特にこの絵にはそう感じます。
中村徹さん。「カウンターのふたり」。異様です。
山下保子さん。「丘の上の家」。白が素晴らしい。
袴田規知代さん。「夏の昼下り」。見事さに涙が出ました。
田島奈須美さん。「猫、磊悟隴の夢」。素晴らしい。
手塚恒治さん。「旅立つ朝」。新しい表現を感じます。
津田直樹さん。「壁」。素晴らしい絵肌。
長谷川喜久さん。「韻」。緑の色の素晴らしさ。
野田夕希さん。「待ちあわせ」。涙を搾り出したくなるくらい素晴らしい。
米田実さん。「猩々」。すごい。涙が出ました。
諸星美喜さん。「ゆらり」。いい絵です。
石崎誠和さん。「服を脱ぐ」。なんと圧倒させる絵か。
佐藤秋子さん。「夏日」。涙が出ました。
能島浜江さん。「四又の百合」。さすがです。初対面だけど、さすが、と思ってしまう。
片山侑胤さん。「翠」(みどり)。すごくいい絵です。
鍵谷節子さん。「赫い葩」(あかいはな)。きれいです。
伊東正次さん。「洞杉図」すごい。わが師の石井先生に見せたい。
井口由紀子さん。「迷走」。いい絵です。
小熊香奈子さん。「あなたへの手紙」。面白い。
熱田守さん。「穏」。どっしり感が良い。
山田まほさん。「牡丹玄想」。すごい良い絵です。
佐藤陽子さん。「水に眠る」。色付けていくやり方の素晴らしさ。
細見香都子さん。「風薫る」。調和が取れている。
中園ゆう子さん。「時の雫」。時計のような小細工を使うと、得てして陳腐になりがちですが、そうならないのは、色が良いせいでしょう。
廣岡通正さん。「納西の人」。ただ見とれました。

工芸美術部門も良かった。
漆の美しさに涙が出ました。後藤健吉さんの「心象風景III」は漆の美しさをうまく出していると思う。
山本唯与志さんの染め物「染額『樹曼荼羅』09」も素晴らしいと言うしかない。

展示の仕方に一言。日本画は一階でして欲しい。二階でやっていることを知らないで、私は危うく帰るところでした。

最後に。美術館などめったに行かない私が行けたのは、ある方のご好意によるものでした。美術館がこんなにすごい所だとは思っていませんでした。言葉に尽くせないほどに感謝。
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by okawghumpe | 2010-03-22 00:03 | 書評以外の日本語

私に何ができるか

古代ギリシャのホームレスの哲学者ディオゲネスは樽の中に住んでいた。
コリントの町がマケドニア王ピりッポスによって攻囲されようとしたとき、住民は一人残らずせわしく立ち働いていた。ある者は武器を手入れし、ある者は石を運び、ある者は城壁を補強するといった具合に。このさまを見たディオゲネスは、敷いていたマントを大急ぎでたたむと、例の愛用の樽(たる)を夢中でころがして、街(まち)を行ったりきたりしはじめたのだ。なぜそんなことをしているのかと人が尋ねると、ディオゲネス先生答えていわく、働き者ばかりこんなに大勢そろっているなかに、このわし一人だけのらくらしていては相すまぬから、わしも働いてこの樽をころがしとるのじゃ。(原文注。ルキアノス『歴史はいかに記さるべきか』第四章。)

ヨハンネス・クリマクスことセーレン・キルケゴールは続けてこう言う。
こうした振舞いは、少なくともソフィスト(詭弁家)のそれではない、もしアリストテレスが、ソフィストの術とは金もうけの術であると説明してくれているのが正しいとすれば。しかり、こうした振舞いは、少なくともいかなる誤解をもひき起こす余地のないものである。だれにしたって、このディオゲネスを町の救い主もしくは恩人であるなどと考えることはおよそありえないだろう。
(ヨハンネス・クリマクス「哲学的断片 または断片の哲学」杉山好訳『世界の名著51 キルケゴール』責任編集桝田啓三郎 52-53頁)

転がさざるを得ないから転がすんだ。

ディオゲネス先生と一緒に転がしていきたい。

いちむらみさこさんが彗星を表現するのは、ディオゲネスが樽を転がすようなものだ。

人工言語を推し進めたり、市民運動をすることだって、ディオゲネスが樽を転がすような、そういう面はある。

ディオゲネス先生と同じ側に立ちたい。

去年アフガニスタンで主にアメリカ軍に殺された子供の数は1050人。
数字には意味はない。一人ひとりの命は量では測れない。しかしこの数字は、子供が殺されることが当たり前だという状況を表していないだろうか。
なぜ彼らは死んだのに私は生きているのか。
不思議でならないのです。

殺された子供の側に立ちたい。

ヨハンネス・クリマクスことセーレン・キルケゴールのディオゲネスの描写は気に入っているので、これから各言語でその記事を載せます。
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by okawghumpe | 2010-03-21 01:55 | 書評以外の日本語

ロジバンで、おおかわじゅんぺい

自分の名前を外国語でどう言うか、そして綴るか、というのは、特に人工言語をやっている人などとは議論が泥沼になる問題で、十人十色の考え方がありますけど、ロジバンでは私はジュンペンという名前にしました。苗字と合わせるとオーカウジュンペン .okau.junpen.

とりあえず、母音で終わってはならないので、sを付けるのが普通みたいだけど、私はnにします。
しかし、自分の名前だからこんなに悩むのであって、おおかわじゅんぺいが他人だったら、.okaua.junpeis.とでもしたかもしれない…。

エスペラントやスウェーデン語でも私は自分の名前は変な風に綴っていますけど、他人の日本人の名前は訓令式で綴るのが無難だと思う。

でも自分の名前をZyunpeiとは絶対に綴りたくないので、矛盾してますね…。


とりあえず、今や標準となっているらしいヘボン式(イギリス語式。Jumpeiと綴る)には私は反対の立場なので、その上で、ヘップバーンをヘボンと表記するような音重視のやり方が望ましいと考えますけど、音の聞こえ方というのは人によって違う可能性があり、当人が、どう綴るかを各言語ごとに決めていく、という一見笑い事のようなことをする必要がある、とまじめに考えています。そして分からない場合は訓令式でいく。(しかし、もしロジバンやエスペラントと対応するヘボン式のような表があったら、それに従うに越したことはない。)(しかしヘボン式のような表が各言語ごとにあったら、尚良い。)
というか、音重視と言いながら、私は自分の名前も .jumpen. じゃなくて .junpen. としているし、矛盾しまくりですけれど、要するに、当人が決めればいいのです。


例えば、イギリス語は私は使わないので、イギリス語の中ではどう綴られていようが私は気にしない、ということでもあります。


(なぜ.junpen.にmではなくnを使ったかというと、漢字を考えたからです。中国語でも朝鮮語でも純はnで表記される。もし三平という名前だったら、.sampen.とmを使ったかもしれない。三位一体sam.mi.it.taiという言葉もありますし。)


整理をすると、まず名前は当人が好きに決めることだ。
しかし当人がその言語でどう綴っているかが分からない場合は、その言語に対応する日本語の音素の一覧表に従うのが望ましい。
あるいはロジバンやエスペラントに対応する五十音の表が望まれる、ということですが、その表を誰が決めるのでしょう?

名前を考えるだけでえらい苦労をしましたけれど、新しい言語を学ぶ時のこれが第一歩です。


*2011年5月26日付けで付け加えますと、 .okau.junpen. にすると言っていますが、苗字と名前をこのように間を空けて分けるなら、苗字の部分も子音で終えるべきです。よって .okaun.junpen. になります。
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by okawghumpe | 2010-03-14 03:45 | 書評以外の日本語

ショイ ドーフー

coi do'u mi'e .junpen.

.i mi la lojban cilre .i mi ba ciska lo gadri fe la lojban.
co'omi'e .junpen.

こんにちわ。 ショイ ドーフー
純平です。  ミーへ ジュンペン
ロジバンを学んでいます。    イ ミー ラロジバン シルレ
これからロジバンで記事を書きます。  イ ミー バ シスカ ロガドリ フェ ラロジバン 
ではさようなら。純平   ショーホ ミーへ ジュンペン


初心を忘れたから、グループホームを辞めた。
利用者の立場に立てなくなっていた。
次の病院には何も期待していなかったが、仕事として割り切ることが出来ずに辞めた。


もっと尖っていこう。
全力で行きまっせ。

ni'o mi jmina ciska de'i li renopano pi'e pano pi'e remu .i vi srera lo nu pilno lo valsi po'u lu lo gadri li'u noi se smuni lo purci be lo sumti .i ei mi pu ciska lu mi ba ciska lo selkarni fe la lojban. li'u

ni'o mi za'u re'u jmima ciska de'i li renopapa pi'e mu pi'e rexa .i lu lo gadri li'u se smuni lo lidne be lo sumti be'o je nai la'e lu lo purci be lo sumti li'u .i je .ei mi pu ciska lu ba ciska lo selkarni bau la lojban li'u

十月二十五日付けで付け加えると、「ロガドリ」は誤りです。消した方が良い。

二〇一一年五月二十六日付けでさらに付け加えると、「ロガドリ」だけでなく、後の「フェ」も消して「バウ」を入れるべきです。
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by okawghumpe | 2010-03-14 03:33 | 書評以外の日本語

ブージー・クラクションの鈴木さん

社会は変えられるし、変えられない。

現状に満足してはいけないし、満足するべきなんだ。

私の頭は壊れていますが、鈴木由紀子さんの日誌三月三日付けに記載の詞を見て、そう思いました。
http://www.bugycraxone.com/diary/suzuki/


鈴木さんが「みんな」と言っても、社会という枠組みで見ているわけではないだろう。
個人の集まりに呼びかけているだけだ。

社会運動と芸術は相容れない。
だからこそ芸術は必要なんだ。


いちむらみさこさんの彗星は芸術だと思う。だって、面白いから。
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by okawghumpe | 2010-03-04 22:53 | 書評以外の日本語

ブルーテント村

いちむらみさこさんに会いました。感激でした。いちむらさんが絵を描くのを生で見れて(!)、さらに、そのいちむらさんをモデルに絵が描けて、二重に三重に感激でした。

帰省からの道すがら、東京のエノアール・カフェに立ち寄ったのです。

実際に会えて本当に良かった。元気をもらいました。

会に参加した皆さんにはお世話になりました。

テント村について、家賃が払えなくてもここでなら生きていける、という場は絶対に必要で、その人のつながりが、あっちこっちにあったらいいのに、と思いました。

豊かさという言葉を軸にしてこれから考えていきたい、とも帰りの電車の中で思いました。
寒さと飢えで苦しむ孤独なホームレスには誰もなりたくないだろうし、私もなりたくない。
何が豊かで何が貧困なのか、もっと言葉にしていけば、世の中への訴えは効果的になるのではないか。

そういえば、『朝日新聞』2月15日付け「ひと」欄で紹介されていた、三万二千人の自殺者の「墓穴」ってどこにあるのか、いちむらさんに聞くのを忘れた…。
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by OkawGhumpe | 2010-02-25 19:59 | 書評以外の日本語

絵本

図書館の隣の歴史民族博物館で昔の絵本を「個人研究」してきました。計63冊。

昭和17年とかの絵本が軍国主義で彩られていたのに対し、昭和21年頃の絵本が一気にイギリス語礼賛主義になるその変わり身の早さが面白い。

しかし素晴らしいのは江戸時代の絵本です。

1800年代の和紙に書かれた絵のその線の細さ。人の表情の豊かさ。その説明的な描写の仕方。これこそ芸術だ、と震えました。

一人の作者ではない、この時代の絵本は全体的に素晴らしい。これはどういうことなのか、と問わずにはいられない。

昭和初期の色彩豊かな絵本は、これらの本と比べるとまるで色あせて見える。人の表情がのっぺらぼうで、動きがない。話の内容とは関係なく、はっきり言って、つまらないのだ。(例外はあります。)

江戸時代の本は、薄い和紙で製本され(裏が透けて見える)、虫食いでぼろぼろになりながらも、なんと輝いていることか。

実際に手に取って、めくるから、素晴らしさが分かるのだと思う。展示されているのを見ただけでは、本としての素晴らしさは分からない。このような素晴らしい作品が身近に、手の内にあるということが感動させるのだ。

その小さい画面に細かく書かれた空間の大きさ。思うに、これこそ本の醍醐味ではないだろうか。本を超えて、大きい空間を感じさせるのです。

遠近法を無視した書き方にも触れておきたい。平行なものを平行に書くのは、説明的であるという点で、非常に優れている。

そして、線で描写するという驚異の技。濃淡を使わず、線だけで書かれた『絵本曽我物語』の絵は私の一番のお気に入りで、線だけでここまで表現できるのか、と感嘆する。

地の文章も、流れるように書かれた文字で、美しいと思う。(読めないけど。)日本語の書き方についても考えさせられる。

こういう素晴らしいものを書庫に眠らせておくのはもったいない、と思うのです。
これを閲覧するのに申請してから何日もかかりました。何でもまずは手続きが要るとのことで、例えば、これらの画像を公表する(誰かに見せる)のにもまた改めて教育委員会に承認を得る必要がある、とのこと。私は画像など撮っていませんが、手続きの簡略化はして欲しい。

昔の人の宝のような遺産に市民が簡単に接することができてこそ、その作品は役に立つと思うし、現代の人の心で受け継いでいかれる、と思う。

歴史民族資料館の担当の方にはお世話になりました。長時間かかってしまって、申し訳なかった。
以下に、閲覧した資料名を挙げます。

続き
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by OkawGhumpe | 2010-02-13 02:07 | 書評以外の日本語

中村安希さんのブログ

資本主義経済を疑う観点について


前回コメントを残した者です。
中村さんの過去の報告(アーカイブ)を読ませてもらいました。確かに私は誤解していたようです。

なぜ誤解(誤読)をしたのかを考えてみると、「アフリカ人というだけで、安易にあなた自身のことを貧しい人だと言ってはいけない」(190頁)、国際協力の予算増加は「やってはいけない」(245頁)という言い方が、まるで、過去を不問にした、自己責任を押し付けるような言い方のように感じられてしまったのだと思います。
確かに、先進国の支援のあり方については本の中でも批判されていますが、それでも、支援は要らない、と言われると、まるで弱者を切り捨てる資本主義の言い分のように受け取ってしまったのです。

それは、例えば日本のホームレスについて、今の社会を批判する立場から、「労働をしない、土地所有をしない生き方だ」と主張すると、「ホームレスになったのは自己責任だ」という弱肉強食の主張と誤解されやすい、のと似ている気がします。
ホームレスの生活をあえて選ぶ人はいるけど、大多数は望んでなったわけではない、というのが現状でしょう。

言葉というのはどのようにでも解釈されうる、と思います。国際支援の現状の認識と、ではどうしたらいいのか、という考えが私には足りなかった、とも思います。すみませんでした。ご回答して頂いて、ありがとうございます。

過去の報告については、その一つ一つが貴重な報告で、本(『インパラの朝』)よりも面白い、と思いました。

ご自身の言葉での報告をまた読ませて下さい。まずはお礼まで。

(中村安希さんのブログへのコメント)

ブログは本と違ってまとめられていない分、長いのですが、素晴らしい内容です。
ことにザンビアの報告が面白かった。
http://asiapacific.blog79.fc2.com/blog-entry-91.html


アフリカでは、貸し借りの清算は歓迎されない。なぜなら、清算をして帳消しにすることは、その人とはもう関わらなくていい、ということだから。と聞いたことがあります。
金銭とは離れて、例えば恩義などについて考えると、分かりやすいのではないでしょうか。忘恩の極みの私など、清算しようと思ったら、えらいことです。
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by OkawGhumpe | 2010-02-11 11:56 | 書評以外の日本語

最近思うこと

思うに、暖房がなくて、栄養がなければ、人は生きていけないし、私も冬を越せない。
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by OkawGhumpe | 2010-02-08 01:14 | 書評以外の日本語