カテゴリ:書評以外の日本語( 50 )

移転しました

ブログは以下に移転しました。

http://junpe-n.blogspot.com/


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by okawghumpe | 2010-11-01 01:03 | 書評以外の日本語

最後の記事

ブログを移転します。

このサイトは多言語に向いていない。そもそもブログの題字が文字化けしているし。

エキサイト・ブログにしたのは、いちむらみさこさんがエキサイト・ブログだったから、というのが一つの理由だった。

十ヶ月前、いちむらみさこさんへの手紙と共にこのブログを始めたのだった。

そこでこう言っている。

私も絵を描くのですが、仕事を辞めて、芸術に生きる決心をいたしました。


言動の不一致もはなはだしい。

パートとはいえ、また仕事をして、今まで生きてきたのだから。

思想というのは行動で表すべきだ、と私は思ってきたし、ある程度は実行してきた、とも言えるが、やはり肝心の面では矛盾している。

このブログでも仕事についてはほとんど一切触れなかった。

ブログに全てを書く必要はないが、しかし人生において大部分を占める肝心の面で私はお茶を濁している、ということは言うべきだろう。


いちむらみさこさんにもう一度会いたい。





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by okawghumpe | 2010-11-01 00:14 | 書評以外の日本語

しみずまゆこさんを見た

ぷくぷく文庫という非常に私の住んでいる所に近い所で活動をしている団体の催しを視察に行った。
そこで本日特別出演の「ストーリープレーヤー」しみずまゆこさんの語りを見た。

すごかった。

観客は小学生前と思われる小さい子とお母さんが主で、私は小さい子がどういう反応をするのかな、ということに注意を注いで見ていたのだが、非常に勉強になった。

しみずまゆこさんは、本は使わず、小道具と自分の体を使って語る、という方だ。

こういう所で笑うか、という所で小さい子たちは受けてていた。

小さい子とは笑いの感覚が違うのだ、と思う。

私は、小さい子と違うことがあっても、小さい子のことは全面肯定するから、小さい子に受ける所と受けない所を見極め、小さい子に受けていない、大人だけが笑えるような部分は、「この部分は抜かせば」というように見ていた。

しかしある箇所でお母さん方だけが、つぼにはまってしまったのか、笑っていることがあり、それは私にも面白い、と思えることで、そのお母さん方が本当におかしそうに笑っていて、そして小さい子もそのお母さん方に顔を振り向かせているのを見て、こういうことも重要ではないか、と思った。

しみずまゆこさん、すごかったです。

私はまずは、最近の子らに人気があるらしい「こぶじいさん」を習得したい。

ちなみに我がちいさな絵本館は地域の新聞に載ったそうです。私は名前は出ていないけど、写真が出ている(笑)。

マチゴト 豊中池田


プクプク文庫のブログ



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by okawghumpe | 2010-10-21 23:55 | 書評以外の日本語

記事

以下引用。

 「地域の人にあいさつする割合を100%にする」「ルールやマナーを守る割合を80%にする」「将来の夢や目標を持つ児童を83%以上にする」―。
 学校生活も家庭生活も、心の内面までも数値化して目標達成を迫る「『大阪の教育力』向上プラン」です。

(中略)

 「子どもの意欲や感情を尊重せず、まるでロボットのように『善行』を強要するとんでもないプランです。教師たちは『こんな教育壊しには、くみしない』と宣言して子どもたちと向き合っています」。こう話すのは、大阪教職員組合書記長の小林優さんです。

(『しんぶん赤旗』10月15日付14面「学校はいま 第5部 続・先生が大変だ! 12」堤由紀子さんによる記事。)




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by okawghumpe | 2010-10-15 15:42 | 書評以外の日本語

久保美樹さんの「はだかの子育て」(『しんぶん赤旗』10月9日付け)

10月9日付け『しんぶん赤旗』10面の久保美樹さんの記事「はだかの子育て」第7回より引用。

授業参観の日に教室に居られず、ダーっと駆けて教室から出てしまう魁を見て、私は先生にとても申し訳ない気持ちになりました。
 「先生、すみません」「いえ、魁君が悪いんじゃないから。魁君がここに居られるような、夢中になるような授業をつくっていない僕らのせいだから」。教室に鍵をかけない浦和養護学校。逃げ出す生徒は悪くない、逃げ出すのは親のしつけのせいじゃない、自分の授業を見直す必要がある、とおっしゃった先生。


学校の先生が嫌いな私でも、これには涙した。

管理する側にいて、こういうことが言える人は少ない。

介護の世界であれ、何であれ。

私はもう五年以上介護の仕事をしてきたことになる。管理されるのを何よりも嫌ってきた私が管理する側の仕事をしてきて五年。

佐高信さんは、株式会社金曜日の社長を降りるにあたって、自身の社長就任を振り返り、こう書いている。

経営者の責任を追及してきた私が、追及される側になるとは夢にも思っていませんでした。

自己採点はできません。せめてこれからの協力で、読者、協力者、そして社員から合格点をもらいたいと思っています。

(『週刊金曜日』10月8日号66頁「金曜日から」。)


購読歴二年の読者として言わせてもらうと、社長が佐高信さんである限りは購読を続けよう、と思ったのは事実。あからさまに社民党を支持する佐高さんの元で、共産党支持を表明する投書が私のも含めて何度も載った。これができるのは社長の佐高さんが言論の自由の大切さを分かっている人だからだ、と思う。



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by okawghumpe | 2010-10-09 23:56 | 書評以外の日本語

「ちいさな絵本館」の続き

9月30日に書いた記事「『絵本の館」』もとい『ちいさな絵本館』初舞台」と10月1日に書いた記事「もじゃもじゃあたまのナナちゃん 神沢利子/ぶん 偕成社」について反省すべき点があります。

自分の思考を組み立てるため、話し合いに備えようと、文章を書いたつもりでした。

しかしブログにて公開するのは早すぎました。

当事者同士、話し合ってお互いの主張をはっきりさせてから公開するべきでした。まずは私信で問うべきでした。

一方的な思い込みでいきなり公表するのは、暴走とみられても仕方がない。

この点については明らかに私に非があります。

当事者の方にはお詫びします。申し訳ありませんでした。


私は人から指摘されるまで気付かなかった。

批判される側に立ってみることができなくなっているのだろうか。


今日「地域コミュニティ推進委員」の人と職員の人が集まってくれて、話をした。

話し合いが重要ということで一致した。

『もじゃもじゃあたまのナナちゃん』に関しては、私の主張が通った。とりあえずは戻されることになった。

今日集まって頂いた方には本当に感謝です。ありがとうございました。

集まりを呼びかけてくれた相方の職員には特にお礼を申し上げます。



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by okawghumpe | 2010-10-02 23:10 | 書評以外の日本語

平松二三代さんへのメール

前回の記事の中の平松二三代さんに呼びかけた部分は、平松さん宛てにメールで送っています。

平松さんの経営するひつじ書房

平松さんへ宛てたメールの全文
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by okawghumpe | 2010-10-02 21:27 | 書評以外の日本語

「絵本の館」もとい「ちいさな絵本館」初舞台

*以下の文章は9月30日に書いたものだが、最後に訂正があります。

もはや書評ブログと化しているこのブログですが、久しぶりに日記めいたことを書きます。

今日(というか昨日)初めて「ちいさな絵本館」のボランティア職員をしに行った。

めっちゃくっちゃ楽しかった。

「ちいさな絵本館」とは、五日前に開館した読み聞かせの館で、私は数ヶ月前から職員に応募して会議に出ていた。(「絵本の館」からなぜか「ちいさな絵本館」に名前が途中で変わった。)倉田薫さんという池田市長が推進する「コミュニティ推進委員会」が市から予算を得て建てたものです。というか建物を改装してそれにしたものです。

いやー、今日来ていたのは元気の良い女の子たちでした。私は読み聞かせ初舞台でした。

さて、日記ということで、起こったことを書こう。

今日行ったら、相方の職員から、先日(蔵書補充の為に)図書館から借りた際に私が選んだ本が不適当だという意見が出たので外したい、と言われた。

『もじゃもじゃあたまのナナちゃん』という本で、主人公の子供のナナちゃんが何日も家出をして親が構わない、というのが「ありえない」から、というのが理由らしい。

私は特に反論もせずに受け入れた。

六日前の開館行事では池田市立小学校で平松二三代という人の講演があり、登場する大人が嫌な人ばかりの絵本は望ましくない、という話をしていた。子供に戦争などの重い主題の絵本を勧めるのは良くない、ともこの人は言っていた。

この平松という人が絵本読み聞かせをしている人には人気があるらしいのです。

相方の職員も、このちいさな絵本館はお勧めできる本をそろえておく所だから、と言って、町の本屋ではない旨を言い、ここに揃えている本を読めば、「なぜその本が駄目なのか分かるようになる」とも言った。


まず、これは職員同士の会話で、子供は直接は関わっていない。『もじゃもじゃあたまのナナちゃん』の本があろうとなかろうと、子供にはあずかり知らぬことだ。だから私はあえて特に反論はしなかった。

あまり過激な主張をすると、職員を外される可能性がある。そしたら、できることもできなくなってしまう。


平松さんの言ったのは、何が良いかと聞かれた時に戦争のような重い主題の本を勧めると本嫌いの子になる可能性がある、小さい子には平和の恵みを与えてこそ大きくなった時に戦争の悲惨さが分かる、ということだった。

私も子供を対象にした平和運動には反対の立場だし、基本的には賛成できる。勧める時に「良い本」と「悪い本」の区別をつけるのも、その人の考えだろうから、あえてそれを批判しようとはしなかった。

しかし「良い本」と「悪い本」を分け、排除するやり方はやはりきちんと批判しておくべきではなかったか、と思う。

私は「あなたの思う良い悪い」に過ぎないと思っていたが、あなたが「良い悪い」という言葉を使うと、それを拠り所にして排除を行おうという人が出てくるのだ。


まず平松さんの主張を批判する。あなたの思う「良い本」とは「良い大人」が出てくる本だが、それは現実を反映していない。子供は大人との距離感を感じるものです。あなたの理想の大人べったりの子供の世界からは、大人を批判する精神が見えてきません。

良い大人が現実だなんて、平和だなんて、あなたは一体どんな世界に住んでいるのか?軍隊による殺人は絶えないし、外国でのそれを認めているのが日本の有権者です。軍事国家アメリカ言いなりに基地を提供している日本が戦争に無関係だなんて誰も思わないだろう。また、コンゴなど外国から資源を輸入する限り、その地での紛争に無関係というのもありえない。紛争は資源をめぐって起こるものだからです。

戦争で死ぬ人はほとんどいない、しかし毎年三万人以上の人が自殺しているのが日本です。過労死が絶えず、過労が嫌なら貧困層になるしかない、という格差の激しい現実。子供でさえも競争にさらされている。親の貧困が子供に影響を与えていることはあなたも知っているでしょう。

あなたがこれらのことを考えないとしたら、よっぽど恵まれた境遇にあるのでしょうね。

子供に対してこれらのことを隠すのは嘘をつくことです。

私も、あえて子供にこれらの知識を押し付けるつもりはありません。しかし私が何に悩んでいるかは子供に示して良いと思う。あなたのように「悪い本」と決め付け、勧められない本として分類すると、それが不可能になる。子供に「私は何を考えているか」を自然に示すことができなくなるのです。


実際に、あなたにとって「良い本」と「悪い本」ときっぱり分けられる本があるのでしょうか。あるのでしょうね。あなたが自分にとっての「良い本」「悪い本」と分けるのは自由です。それは単なる好みです。

しかしあなたが「良い」「悪い」云々と分けているのは子供にとっての本です。あなたのための本ではありません。
あなたが思う「良い」「悪い」を押し付けていることを自覚しているのですか?
人に勧めるにあたっては多かれ少なかれそういう部分はあります。
しかしそれならなぜ「良い」「悪い」と大真面目に言うのか?
あなたの言う「良い」「悪い」の影響力を自覚して欲しい。

あなたは子供の選択肢を狭めるほど賢いのですか?「私の思う良い本」と控えめに言わずに、「これは悪い本」と排除するほどにあなたは物事の良し悪しが分かっているのですか?

私は、あなたは分かっていない、と思う。

子供はあなたが思うほどに馬鹿ではないし、あなたもあなたが思うほどに賢くはない、と最後に言わせて頂きます。


『もじゃもじゃあたまのナナちゃん』に関しては、もう一度読み直してから職員に話し合いを呼びかけようと思う。


一日だが実際に子供とかかわって提言したい点も出てきた。

まず、改装がまだで物置になっていて汚れるから「行ってはいけない」二階へ行くことをやはり許可して良いのではないだろうか。

私の相方の職員は「一度許すと何度も行きたがる」「階段が危ない」と言うが、それなら危険性を子供に伝えて注意するようにすれば良いのではないか。人間の登れない階段が作られているわけではないだろう。職員が付き添うようにしても良い。
階段を隠してはいるが、実際に職員も気になって何度ものぞいている。大人が我慢できないことを子供に禁止しているのだ。

開館行事のビデオで自転車でなるべく来ないように、とも呼びかけていたが、こういう呼びかけは止めたい。駐輪場が狭いことが問題なのだが、近くの幼稚園や公民館や警察署や小学校の駐車場を借りられないものだろうか?(ちなみに、関西大学学生が作ったという開館行事のビデオはいきなり「これはしてはいけない」「これはしてはいけない」を連発する、そういうビデオだった。駐輪問題に関しては「みんなの迷惑を考えて」自転車で来るな、と。)

私の記憶が確かなら、館の中では「静かに」と開館行事の際のビデオで言っていたが、それも取り消すべきだろう。子供は楽しければ騒ぐものだ。楽しんでもらうことが重要であって、静けさは重要ではない。今日も実際、二歳の子が声を上げて泣いていたが、八歳と九歳と二十九歳(私)組がそれに負けじと騒いでいると、いつの間にか泣き止んでいた。楽しさは感染するものです。

開館時間の延長。午後五時で閉館は早すぎる。二十四時間開館でも良いと思う。万が一子供が行き場所がない場合の居場所になり得る。

職員の無償化。ボランティアといってもこれは有償です。無償のボランティアにすれば、開館日時をもっと広げられるのではないか?自由に誰でも参加できるのが理想だ。三百六十五日二十四時間開館で、行ける人で行きたい人が行ったら良い。


以上の点を、次回話し合いがある時に提言したいと思う。


というのが9月30日に書いた文章だが、内容について10月2日付けで訂正します。

『もじゃもじゃあたまのナナちゃん』が不適当とされた件について、「主人公の子供のナナちゃんが何日も家出をして親が構わない、というのが『ありえない』から、というのが理由らしい。」と私は書いたが、これは少々歪曲した捉え方でした。

相方の職員からまず言われたのは、確か「読み聞かせてみたら子供がついていけてなさそうだった」という旨のことでした。その上で、上記の理由も言われた。しかし私の記憶からはこの実際の子供の反応に関する部分が消えてしまっていて、上記の文章を書いていた。

職員から言われたのは、楽しんでいなさそうな子供の反応と、話の内容が「ありえない」ということだった、に訂正します。

10月3日付けで内容についてさらに付け加えます。

『もじゃもじゃあたまのナナちゃん』が不適当とされた件について。この時にその場では私は反論をしなかったけれど、その後職員の人達と実際に話をして、私は外すことに反対する、と述べたところ、とりあえずはちいさな絵本館に戻されることになりました。

「あまり過激な主張をすると、職員を外される可能性がある。」と書きましたが、これは私の妄想です。

駐輪場について。市役所が使えるそうです。(その向かいの公民館には駐車場はない。)



10月5日付けで、悪文だと思う箇所があるので書き換えたい。
「まず、これは職員同士の会話で、子供は直接は関わっていない。」は「まず、これは職員同士の会話で、子供はその場にはいない。」とした方が分かりやすい文でした。



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by okawghumpe | 2010-09-30 05:02 | 書評以外の日本語

芸術とは何か 其の二

みじめなものをみじめでなくすもの。



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by okawghumpe | 2010-09-18 01:38 | 書評以外の日本語

佐高信さんの「風速計」

9月10日号の『週刊金曜日』の「風速計」にて、佐高信さんが8月27日号同誌の安川寿乃輔(じゅのすけ)さんのインタビューを批判している。社長自ら、自分の雑誌の(それも特集の)インタビュー記事に反論しているわけですね。面白いなあ。今週号の投書欄には、そのインタビューに「目が覚める思いがした」という二十三歳の笹井良太さんの初々しい感想の投書も載っているが、その同じことについて同じ号で批判の意見を載せる、というところがいかにも『金曜日』らしい。

要するに、名古屋大学名誉教授の安川さんが特集にて、朝鮮について「武力を用ひても其進歩を助けん」と言う福沢諭吉さんと、その福沢さんについて「明治前期の”健全なナショナリズム”」を代表していると言う丸山眞男さん、それに日清戦争について「清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受身であった」と言う司馬遼太郎さんを批判したのに対し、佐高さんは「敵から見たらどうなのか」という視点を紹介しているわけです。

「敵以上に激しい侮蔑の言葉を投げつけて何の意味があるのか」と佐高さんは言うが、有名人を肯定的にとらえる大衆に対して警告の声をあげる、という意味はあるのではないか、とは思う。

しかし私はどう考えたら良いのか分からない。以下引用。

「安川はきわめて単純に、福沢を『民主主義の先駆者』として美化したと丸山を断罪しているが、三島(引用者注:由紀夫)から『左翼学者』と難じられた丸山を全否定して、反ファシズムの隊列など組めるのか。大体、そうした悪罵を浴びながらも、たとえば安保闘争に参加した丸山の感じる風圧を理解せずして、統一戦線を組むことなどできないだろう。」

「福沢に侵略主義と攻撃される面があったことを私は否定しない。しかし、同時に、戦争中に福沢は”鬼畜米英”の思想家として排撃されたことも忘れずに想起するのでなければ公平を欠くだろう。
 また、悪名高き『脱亜論』にしても、福沢はそれを唱えながら朝鮮独立運動のリーダーである金玉均(キムオクキュン)を、自らの身に危険が及ぶのを覚悟で助けた。当時の日本の政府はそれを理由に福沢を捕えようとしたし、事実、福沢の弟子の井上角五郎(かくごろう)は投獄され、福沢との関わりを白状せよと迫られている。」

「全否定ではなく部分否定、全肯定ではなく部分肯定のみが、マスターベーション的頑固な独善の殻を打ち破るのだと私は思う。」


「どうしても学者は文献によって判断しがちなので、現実の行動を追うことはおろそかになる。」という言葉は心に刻んでおきたい。
書いたものは残るが、行動は残らないのです。


佐高さんとは気が合わないところが多いし、そもそも支持する政党も違う。しかし佐高さんが社長である限りは『週刊金曜日』をとり続けたい、と思う。賛成できるかどうかではなく、佐高さんは重要なことを言っている、と思う。

貧乏のどん底でも、『週刊金曜日』と『しんぶん赤旗』はとり続けたい。紙媒体としての将来はともかく、ネットにつながっていない人がいる以上は、無くなって欲しくない。

ちなみに今日の『しんぶん赤旗』の投書欄には本多勝一さんが投書している。一般人に紛れ込んで投書する、こういうところがいかにも本多さんらしくて、大好きです。



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by okawghumpe | 2010-09-12 23:37 | 書評以外の日本語