「絵本の館」もとい「ちいさな絵本館」初舞台

*以下の文章は9月30日に書いたものだが、最後に訂正があります。

もはや書評ブログと化しているこのブログですが、久しぶりに日記めいたことを書きます。

今日(というか昨日)初めて「ちいさな絵本館」のボランティア職員をしに行った。

めっちゃくっちゃ楽しかった。

「ちいさな絵本館」とは、五日前に開館した読み聞かせの館で、私は数ヶ月前から職員に応募して会議に出ていた。(「絵本の館」からなぜか「ちいさな絵本館」に名前が途中で変わった。)倉田薫さんという池田市長が推進する「コミュニティ推進委員会」が市から予算を得て建てたものです。というか建物を改装してそれにしたものです。

いやー、今日来ていたのは元気の良い女の子たちでした。私は読み聞かせ初舞台でした。

さて、日記ということで、起こったことを書こう。

今日行ったら、相方の職員から、先日(蔵書補充の為に)図書館から借りた際に私が選んだ本が不適当だという意見が出たので外したい、と言われた。

『もじゃもじゃあたまのナナちゃん』という本で、主人公の子供のナナちゃんが何日も家出をして親が構わない、というのが「ありえない」から、というのが理由らしい。

私は特に反論もせずに受け入れた。

六日前の開館行事では池田市立小学校で平松二三代という人の講演があり、登場する大人が嫌な人ばかりの絵本は望ましくない、という話をしていた。子供に戦争などの重い主題の絵本を勧めるのは良くない、ともこの人は言っていた。

この平松という人が絵本読み聞かせをしている人には人気があるらしいのです。

相方の職員も、このちいさな絵本館はお勧めできる本をそろえておく所だから、と言って、町の本屋ではない旨を言い、ここに揃えている本を読めば、「なぜその本が駄目なのか分かるようになる」とも言った。


まず、これは職員同士の会話で、子供は直接は関わっていない。『もじゃもじゃあたまのナナちゃん』の本があろうとなかろうと、子供にはあずかり知らぬことだ。だから私はあえて特に反論はしなかった。

あまり過激な主張をすると、職員を外される可能性がある。そしたら、できることもできなくなってしまう。


平松さんの言ったのは、何が良いかと聞かれた時に戦争のような重い主題の本を勧めると本嫌いの子になる可能性がある、小さい子には平和の恵みを与えてこそ大きくなった時に戦争の悲惨さが分かる、ということだった。

私も子供を対象にした平和運動には反対の立場だし、基本的には賛成できる。勧める時に「良い本」と「悪い本」の区別をつけるのも、その人の考えだろうから、あえてそれを批判しようとはしなかった。

しかし「良い本」と「悪い本」を分け、排除するやり方はやはりきちんと批判しておくべきではなかったか、と思う。

私は「あなたの思う良い悪い」に過ぎないと思っていたが、あなたが「良い悪い」という言葉を使うと、それを拠り所にして排除を行おうという人が出てくるのだ。


まず平松さんの主張を批判する。あなたの思う「良い本」とは「良い大人」が出てくる本だが、それは現実を反映していない。子供は大人との距離感を感じるものです。あなたの理想の大人べったりの子供の世界からは、大人を批判する精神が見えてきません。

良い大人が現実だなんて、平和だなんて、あなたは一体どんな世界に住んでいるのか?軍隊による殺人は絶えないし、外国でのそれを認めているのが日本の有権者です。軍事国家アメリカ言いなりに基地を提供している日本が戦争に無関係だなんて誰も思わないだろう。また、コンゴなど外国から資源を輸入する限り、その地での紛争に無関係というのもありえない。紛争は資源をめぐって起こるものだからです。

戦争で死ぬ人はほとんどいない、しかし毎年三万人以上の人が自殺しているのが日本です。過労死が絶えず、過労が嫌なら貧困層になるしかない、という格差の激しい現実。子供でさえも競争にさらされている。親の貧困が子供に影響を与えていることはあなたも知っているでしょう。

あなたがこれらのことを考えないとしたら、よっぽど恵まれた境遇にあるのでしょうね。

子供に対してこれらのことを隠すのは嘘をつくことです。

私も、あえて子供にこれらの知識を押し付けるつもりはありません。しかし私が何に悩んでいるかは子供に示して良いと思う。あなたのように「悪い本」と決め付け、勧められない本として分類すると、それが不可能になる。子供に「私は何を考えているか」を自然に示すことができなくなるのです。


実際に、あなたにとって「良い本」と「悪い本」ときっぱり分けられる本があるのでしょうか。あるのでしょうね。あなたが自分にとっての「良い本」「悪い本」と分けるのは自由です。それは単なる好みです。

しかしあなたが「良い」「悪い」云々と分けているのは子供にとっての本です。あなたのための本ではありません。
あなたが思う「良い」「悪い」を押し付けていることを自覚しているのですか?
人に勧めるにあたっては多かれ少なかれそういう部分はあります。
しかしそれならなぜ「良い」「悪い」と大真面目に言うのか?
あなたの言う「良い」「悪い」の影響力を自覚して欲しい。

あなたは子供の選択肢を狭めるほど賢いのですか?「私の思う良い本」と控えめに言わずに、「これは悪い本」と排除するほどにあなたは物事の良し悪しが分かっているのですか?

私は、あなたは分かっていない、と思う。

子供はあなたが思うほどに馬鹿ではないし、あなたもあなたが思うほどに賢くはない、と最後に言わせて頂きます。


『もじゃもじゃあたまのナナちゃん』に関しては、もう一度読み直してから職員に話し合いを呼びかけようと思う。


一日だが実際に子供とかかわって提言したい点も出てきた。

まず、改装がまだで物置になっていて汚れるから「行ってはいけない」二階へ行くことをやはり許可して良いのではないだろうか。

私の相方の職員は「一度許すと何度も行きたがる」「階段が危ない」と言うが、それなら危険性を子供に伝えて注意するようにすれば良いのではないか。人間の登れない階段が作られているわけではないだろう。職員が付き添うようにしても良い。
階段を隠してはいるが、実際に職員も気になって何度ものぞいている。大人が我慢できないことを子供に禁止しているのだ。

開館行事のビデオで自転車でなるべく来ないように、とも呼びかけていたが、こういう呼びかけは止めたい。駐輪場が狭いことが問題なのだが、近くの幼稚園や公民館や警察署や小学校の駐車場を借りられないものだろうか?(ちなみに、関西大学学生が作ったという開館行事のビデオはいきなり「これはしてはいけない」「これはしてはいけない」を連発する、そういうビデオだった。駐輪問題に関しては「みんなの迷惑を考えて」自転車で来るな、と。)

私の記憶が確かなら、館の中では「静かに」と開館行事の際のビデオで言っていたが、それも取り消すべきだろう。子供は楽しければ騒ぐものだ。楽しんでもらうことが重要であって、静けさは重要ではない。今日も実際、二歳の子が声を上げて泣いていたが、八歳と九歳と二十九歳(私)組がそれに負けじと騒いでいると、いつの間にか泣き止んでいた。楽しさは感染するものです。

開館時間の延長。午後五時で閉館は早すぎる。二十四時間開館でも良いと思う。万が一子供が行き場所がない場合の居場所になり得る。

職員の無償化。ボランティアといってもこれは有償です。無償のボランティアにすれば、開館日時をもっと広げられるのではないか?自由に誰でも参加できるのが理想だ。三百六十五日二十四時間開館で、行ける人で行きたい人が行ったら良い。


以上の点を、次回話し合いがある時に提言したいと思う。


というのが9月30日に書いた文章だが、内容について10月2日付けで訂正します。

『もじゃもじゃあたまのナナちゃん』が不適当とされた件について、「主人公の子供のナナちゃんが何日も家出をして親が構わない、というのが『ありえない』から、というのが理由らしい。」と私は書いたが、これは少々歪曲した捉え方でした。

相方の職員からまず言われたのは、確か「読み聞かせてみたら子供がついていけてなさそうだった」という旨のことでした。その上で、上記の理由も言われた。しかし私の記憶からはこの実際の子供の反応に関する部分が消えてしまっていて、上記の文章を書いていた。

職員から言われたのは、楽しんでいなさそうな子供の反応と、話の内容が「ありえない」ということだった、に訂正します。

10月3日付けで内容についてさらに付け加えます。

『もじゃもじゃあたまのナナちゃん』が不適当とされた件について。この時にその場では私は反論をしなかったけれど、その後職員の人達と実際に話をして、私は外すことに反対する、と述べたところ、とりあえずはちいさな絵本館に戻されることになりました。

「あまり過激な主張をすると、職員を外される可能性がある。」と書きましたが、これは私の妄想です。

駐輪場について。市役所が使えるそうです。(その向かいの公民館には駐車場はない。)



10月5日付けで、悪文だと思う箇所があるので書き換えたい。
「まず、これは職員同士の会話で、子供は直接は関わっていない。」は「まず、これは職員同士の会話で、子供はその場にはいない。」とした方が分かりやすい文でした。



以下の広告は私の文章ではありません。↓
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by okawghumpe | 2010-09-30 05:02 | 書評以外の日本語
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