佐高信さんの「風速計」

9月10日号の『週刊金曜日』の「風速計」にて、佐高信さんが8月27日号同誌の安川寿乃輔(じゅのすけ)さんのインタビューを批判している。社長自ら、自分の雑誌の(それも特集の)インタビュー記事に反論しているわけですね。面白いなあ。今週号の投書欄には、そのインタビューに「目が覚める思いがした」という二十三歳の笹井良太さんの初々しい感想の投書も載っているが、その同じことについて同じ号で批判の意見を載せる、というところがいかにも『金曜日』らしい。

要するに、名古屋大学名誉教授の安川さんが特集にて、朝鮮について「武力を用ひても其進歩を助けん」と言う福沢諭吉さんと、その福沢さんについて「明治前期の”健全なナショナリズム”」を代表していると言う丸山眞男さん、それに日清戦争について「清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受身であった」と言う司馬遼太郎さんを批判したのに対し、佐高さんは「敵から見たらどうなのか」という視点を紹介しているわけです。

「敵以上に激しい侮蔑の言葉を投げつけて何の意味があるのか」と佐高さんは言うが、有名人を肯定的にとらえる大衆に対して警告の声をあげる、という意味はあるのではないか、とは思う。

しかし私はどう考えたら良いのか分からない。以下引用。

「安川はきわめて単純に、福沢を『民主主義の先駆者』として美化したと丸山を断罪しているが、三島(引用者注:由紀夫)から『左翼学者』と難じられた丸山を全否定して、反ファシズムの隊列など組めるのか。大体、そうした悪罵を浴びながらも、たとえば安保闘争に参加した丸山の感じる風圧を理解せずして、統一戦線を組むことなどできないだろう。」

「福沢に侵略主義と攻撃される面があったことを私は否定しない。しかし、同時に、戦争中に福沢は”鬼畜米英”の思想家として排撃されたことも忘れずに想起するのでなければ公平を欠くだろう。
 また、悪名高き『脱亜論』にしても、福沢はそれを唱えながら朝鮮独立運動のリーダーである金玉均(キムオクキュン)を、自らの身に危険が及ぶのを覚悟で助けた。当時の日本の政府はそれを理由に福沢を捕えようとしたし、事実、福沢の弟子の井上角五郎(かくごろう)は投獄され、福沢との関わりを白状せよと迫られている。」

「全否定ではなく部分否定、全肯定ではなく部分肯定のみが、マスターベーション的頑固な独善の殻を打ち破るのだと私は思う。」


「どうしても学者は文献によって判断しがちなので、現実の行動を追うことはおろそかになる。」という言葉は心に刻んでおきたい。
書いたものは残るが、行動は残らないのです。


佐高さんとは気が合わないところが多いし、そもそも支持する政党も違う。しかし佐高さんが社長である限りは『週刊金曜日』をとり続けたい、と思う。賛成できるかどうかではなく、佐高さんは重要なことを言っている、と思う。

貧乏のどん底でも、『週刊金曜日』と『しんぶん赤旗』はとり続けたい。紙媒体としての将来はともかく、ネットにつながっていない人がいる以上は、無くなって欲しくない。

ちなみに今日の『しんぶん赤旗』の投書欄には本多勝一さんが投書している。一般人に紛れ込んで投書する、こういうところがいかにも本多さんらしくて、大好きです。



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by okawghumpe | 2010-09-12 23:37 | 書評以外の日本語
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