重力と恩寵 シモーヌ・ヴェーユ/著 春秋社

言葉の効果

「人間は、行動とその結果のあいだに、努力と作品のあいだに、外部の意志が介在するかぎり、奴隷である。」(264頁)こういうはっきりした言葉が必要なのだ。言葉は何の役に立つか。本を読むだけでは何も変わらないけれど、人を動かす力を持っているのも言葉だ。人を動かすには、単純なことを単純に表すあざやかさが必要だ。単純なことが見えなくなっている人にそれを分からせるだけの素朴さが必要だ。これを読んだ人は、これを読んだ私は、この状況に対して何をするか。著者とは部分的に共感する。なぜ部分的かと言うと、分かりづらい文章が多いからだ。翻訳の問題と片付けていいのか、原文の文章自体がこうなのか、一読して意味のつかめない語句の組み合わせがある。広く一般に向けられていないと思うが、元々は出版目的に書かれたものではないようだから、これはこれでいいのかもしれない。

(池田市立図書館書評)


本書からの引用(二重引用を含む)。
『カラマーゾフの兄弟』のなかのイワンのせりふ。「この巨大な塔の構築がどれほどすばらしい結果をもたらすとしても、それが一人の子供の一滴の泪にも値しないとしたら、そんな塔を築くのはおことわりだ。」
私はこの考えかたに全面的に同意する。一人の子供の泪をつぐなうものとしてどんな理由が設けられるとしても、私はこの泪を容認できない。人間の知恵で思い浮かべられるような理由であれば、どんな理由にせよ絶対に否である。ただ一つ例外がある。ただしそれは超本性的な愛によってのみ理解しうるものであるが、それは「神の御旨だから」という理由である。そしてこの理由のためだったら、私は子供の泪ばかりか、悪にすぎないような世界さえも容認するであろう。(133頁)

「私は裸だったときにあなたたちが服をくれた」

「私が飢えていたとき、あなたは食べさせてくれた」

(それぞれ「[マタイ福音書二五・三六‐九]」からの引用とある。84頁)
 

(マタイの引用の上の文は「は」と「が」が逆だろう。)
聖書の言葉はこんなにあざやかだったろうか。
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by okawghumpe | 2010-03-17 10:26 | 図書館書評
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